目次
F-15導入の背景
1970年代、日本の防空事情は厳しさを増していた
冷戦期、ソ連機が日本周辺に頻繁に進出し 航空自衛隊のF-4EJだけでは対応に不安があった
そこで 次期主力戦闘機F-Xの選定が始まり 候補にはF-14・F-16・そしてF-15が挙がった
制空戦闘能力に最も優れていたのが、F-15
1978年 日本はF-15Jの導入を決定した
日本のF-15年表
年 | 出来事 |
---|---|
1978年 | 次期主力戦闘機F-XとしてF-15採用決定 |
1980年 | 初号機(アメリカ製造)が日本に到着 |
1981年 | 三菱重工製F-15J初号機ロールアウト 千歳基地第203飛行隊(203SQ)に配備開始 |
1984年 | 小松基地に配備開始 本格的に航空自衛隊の主力に |
1990年代 | Pre-MSIP機とMSIP機が混在 国産空対空ミサイルAAM-3導入 |
1999年 | 近代化改修開始 レーダー換装 新しい電子戦装備を導入 |
2000年代 | AAM-4搭載能力を獲得 国産アクティブレーダーミサイルとして世界初の運用国に |
2010年代 | AAM-5搭載開始 赤外線誘導ミサイルとして最新型を装備 |
2019年 | F-15JSI改修計画決定 レーダー・電子戦装置・長射程ミサイル対応へ |
2020年代 | 一部は退役へ 移行期に入りF-35と役割分担 |
初号機の到着とライセンス生産

F-15JはアメリカのF-15Cをベースにした日本仕様で 三菱重工でライセンス生産された
エンジンもIHIで製造されるなど 国産化率は高く 日本独自の電子機器も搭載されていた
F-15JとF-15DJ
単座型がF-15J 複座型がF-15DJ
複座型は訓練用が主だが 実戦任務にも投入可能
航空自衛隊では約200機が導入され 北は千歳から南は那覇まで配備され 日本の空を守ってきた

スクランブルの主力
冷戦期から現在に至るまで 日本周辺では領空侵犯の恐れがある航空機が後を絶たない
F-15Jはそのスクランブル任務の主力として活躍
スクランブル回数の推移
- 1980年代 年間200〜300回
- 1990年代 冷戦終結で一時減少 年間150回前後
- 2000年代 再び増加 年間300〜400回
- 2010年代 年間500〜900回と過去最多を更新
- 2020年代 依然として高水準 年間700回前後

ピーク時には年間900回以上のスクランブルを行った年もあり 常に日本の空を守り続けてきた
改修と進化
F-15Jは長寿命化と能力向上のため近代化改修が進められた
Pre-MSIP機とMSIP機に分けられ レーダーや電子戦装置を強化
国産ミサイルAAM-3・AAM-4・AAM-5に対応し 世界でも高い防空能力を維持している
配備基地一覧
現在までにF-15が配備された航空自衛隊の基地は以下の通り
基地 | 部隊 | 所在 |
---|---|---|
千歳基地 | 第201飛行隊 / 第203飛行隊 | 北海道 |
三沢基地 | 第202飛行隊(過去) | 青森県 |
小松基地 | 第303飛行隊 / 第306飛行隊 | 石川県 |
築城基地 | 第304飛行隊(後に那覇へ移動) | 福岡県 |
那覇基地 | 第204飛行隊 / 第304飛行隊 | 沖縄県 |
北海道から沖縄までF-15は全国に展開し 日本の防空体制を支えてきた
現在のF-15JSI計画
2020年代に入り 航空自衛隊は一部のF-15を最新仕様F-15JSIへ改修する計画を進めている
新型レーダー 電子戦装置 長射程ミサイル対応など まさに次世代防空の要となる内容
一方で改修対象外のF-15は順次退役する予定で その姿を見られるのも限られた時間になってきた
まとめ
1980年に初号機が到着してから40年以上
F-15は一貫して航空自衛隊の防空を担い続けてきた
ライセンス生産から始まり 改修を重ね 今なお第一線に立つ
F-35が増えるこれからも F-15は日本の防空の柱であり続けるだろう

と言う事らしいw
AI凄いな〜 私の言葉ではないw
F-15はカッコいいから良いのである
F-35に変わってしまうのが残念である
1機=100億円
自家用に買うことはできないので プラモで我慢
AIが作った夕日の中のF-15
なかなかやるやん
📌 おしらせ
今回から記事に いいねボタン と コメント欄 をつけたよ
感想や応援は気軽にポチっと ひとことだけでも嬉しい
コメントは 承認後に表示 すべてに返信できないことがあるけれど楽しく読みます