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テレビデビューをした話

投稿日:2022/4/26 更新日:

 

回顧録です

私がテレビに初めて映った時の話

 

あれは今から38年前

私が小学3年生の時でした

 

【100万円クイズハンター】って番組があったのはご存じですか?

その番組に出たのです

 

出たと言うと語弊があるね

母親が回答者として出演したので、応援に行った私も映ったと言うのが正解

 

2022年4月16日に柳生博さんがお亡くなりになられました

そのニュースで、当時を思い出し書いてみた

 

【100万円クイズハンター】がどういう番組かサラリと書いておこう

素人参加型のクイズ番組です

回答者は4名

前半は20問のクイズに早押しで答える

答えられると、隠されていた商品が手に入る

商品には値段が付いていて、値段=点数で勝者が決まる

 

後半は『ハンターチャンス!』が待っている

全5問(+ゴールデンハンマー持っている人1問)

 

ハンターチャンスは、正解すると相手の持っている商品を横取りできるシステム

優勝を狙って高額商品の取り合いをすると言うチャンスです

 

で、優勝すると3つのボックスのどれかを巨大ハンマーで叩き、ハズレ・国内旅行・ハワイ旅行が当たるチャンスが貰える

 

私の母が出演した時はそんなルールでした

詳しくはWikipedia読んでくれいw

 

私も今ではクイズ好きですが、母親の影響です

当時の母親はウルトラクイズやアタック25も欠かさず見ていたクイズ好き

 

番組に応募して、予選会に行って、合格して本選だったかな?

小3の私は詳しくは知らされていない

 

「テレビに出るよー」ってんで、父親を除く家族総出で東京へ行った

母親の友達家族もついてきた

東京の親戚も応援に来た

 

茨城県の鹿嶋市に住んでいた私

今では高速バスで簡単に東京に行けるけど、当時は電車しか便は無かった

まだ【国鉄】の時代です

 

国鉄特急カラーのあやめ(写真いただきました)

これに乗って数回乗り換えして東京へ

 

そういえば東京に行ったのも、この日が初めてだったかもしれない

当時は、地理や電車に詳しいわけでもなく電車が嬉しくて車内で遊んでた記憶はある

 

電車内で母親たちは

「赤の回答席に座るから、優勝したら赤のボックス叩こうね」

と会話をしていたらしい

 

後の伏線ですw

 

テレビ局は六本木のテレビ朝日

六本木と言われてもピンとこない子供の私

ビルが高くてキョロキョロしていた

(未だに東京行くとキョロキョロするけどw)

 

六本木の【アマンド】でドーナツを食べた

六本木のアマンドと言う響きは何故か当時の私も聞いたことがあった

 

こちらの写真も使わせていただきました

 

母親たちも「アマンドで何か食べちゃおうよ」ってな感じで田舎者丸出しで愉しんでいたと思う

当時の母親は今の私よりかなりの年下

想像すると可愛いw

 

当時は当然【六本木ヒルズ】など無い

テレビ朝日は旧社屋でした

 

で、撮影開始

1日に1週間分の5本撮りでした

 

生【柳生博】を見てもそれほど感動はしなかった(以後、敬称略)

無邪気な小3

私が答えるわけでもないので、楽しく応援をしていた

 

クイズ前半戦、母親もかなり頑張って、回答者4人が接戦

優勝者は後半の『ハンターチャンス』次第となりました

 

確か母親はハンターチャンスの2問目と最終の5問目に正解を出した

相手から奪える商品を選択

 

その日1番の高額商品はダイヤモンドネックレス20万円相当だった

【ココ山岡】のダイヤモンドネックレス

ココ山岡ももう無いね

 

優勝を狙って、ハンターチャンスではダイヤモンドが行ったり来たり

となるのが通例

 

ハンターチャンス2問目、母親が正解

商品を選ぶ

後で聞くと、やっぱりダイヤモンドを狙っていたみたい

 

応援席の私

「ハトヤ!!!」

大きな声で希望を出しましたw

 

それを拾った柳生博

「お子さんがハトヤと言っています」

 

それを言われた母親はハトヤを選択

「テテテ、テテテ、トィーン、トィーン、チュッピ」

移動時の効果音は今でもはっきりと覚えていますw

 

私がハトヤに行きたかったのです!w

『伊東に行くならハトヤ、電話はよいふろ(4126)♪』

関東圏ではCMがバンバン放映されていました

魚も泳ぐ戦国風呂でっせ

 

そして最終問題に正解した母親は、そこでダイヤモンドを選択し見事優勝したのであります

 

もはや私のハトヤのおかげと言っても過言ではありませんw

ハトヤも楽しかったなぁ

 

そしてスタジオの中央で3つのボックスの選択

この時、応援席に居た我々もスタジオに降りてきました

バッチリテレビに映ったぜ

 

柳生博「さて、何色のボックスを叩きましょうか?」

 

「みどり!!!!」

 

電車内で赤(実際はピンク)を叩こうと言う会話を聞いていなかったので、私が緑って言っちゃいました

 

柳生博「ぼっちゃんが緑と言っていますよ」

本当に柳生博はこう言った

この記事を書くためにビデオなどは見返していない、今でも当時を鮮明に覚えている

 

そう言われた母親は、やっぱり緑を選ぶしかない

結果は海賊(ハズレ)

国内旅行でもなく、海外旅行でもなく、ハズレ

 

ちなみにピンクがハワイ旅行でした

やっちまった(ぐはっ!)

 

柳生博「それではまた明日!」

と言いながら手を振る私の頭をゴシゴシしてくれた柳生博

 

芸能人に頭を撫でられたんだぜぇ

凄いべw

 

そんな懐かしい話

 

柳生博さんのご冥福を心よりお祈りします

 

ぶ村



ぶ村



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