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音楽と私

投稿日:2021/2/14 更新日:

 

回顧録です

長文ですので、興味があって暇な人はお読みください

同世代の人なら共感できるかな?

 

私が音楽に出会ったのは保育園の頃

1980年、昭和55年くらいかな

 

祖父は民謡が大好きで、カセットプレーヤーで年中聴いていた

私もウルトラマン主題歌大全集というカセットテープを買ってもらって聴いていた記憶がある

ウルトラマンタロウの主題歌の途中で、幼き頃の私の肉声で歌を上書きしたのもあった

高校生くらいの時に捨ててしまったのだけど、今思えば残しておけば良かったと後悔している

そのテープの自分の幼き頃の声はまだ耳に残っているけど

 

小学校1年生の頃になると、親父のオーディオでレコードを聴いていた記憶もある

貧乏な家のくせに大型スピーカーが4つもあるオーディオが家にはあった

4チャネルのレコードのオーディオ

当時は何とも思わなかったのは当然だが、今思い返せば父親は少しオーディオに凝っていたのかもしれない

父親が主に何を聴いていたのかは思い出せない

だが誰が買ったか知らないが、志村けんの『東村山音頭』のレコードが家にあり、それを爆音で視聴していた

 

幼き頃に音楽を聴いていた思い出はここまで

ここからしばらく音楽から離れる

 

その理由は4つ年上の姉

姉はダブルラジカセを購入し、テレビの前に座りベストテンなどから、松田聖子の赤いスイートピーなどを録音して聴いていた

テレビの前にセットして、その間は誰もが大人しく無言で過ごさなければならない苦痛

ここまでして音楽聴きたいとは思わなかった

 

姉も姉で、お前に貸すと壊されるからラジカセは絶対触るな!と幼い可愛い可愛い私に脅しをかけてきた

子供の頃の4つ年上など絶対に勝てないわけで、恐怖政治を敷かれていました

なおさら音楽が嫌いになる

 

こっそり姉の買った吉川晃司の『モニカ』をレコードで聴くくらいでした

吉川晃司も今や立派な役者

帝国重工の財前部長ですよ

ちぇっちぇ言っていたのに・・・

 

閑話休題

 

姉のおかげで歌が嫌いになり、私も完全なテレビっ子となり歌には縁が無くなった

また自分で歌を聴くようになったのは、中学2年生くらい

1989年、歴は変わり平成元年

レコードもCDに変わっていった

Compact Discの略でCD

今の若者は知っているのかな?

 

中2で友達の家を遊び歩くようになり、その友達の家ではBOØWYの曲が常に流れていた

カッケー

BOØWYを知った時には既に解散していたのだが、曲のカッコよさに痺れた

 

中学生当時から、今も全く変わっていない性格な私

ギターカッコいい!

やってみたい!

やれば女の子にモテるべ!

と、安易な考えから、雑誌の裏の通販カタログで、ストラトギター入門キッドを買った

当時4万か5万円くらいしたと思う

 

今の様に情報が溢れている時代でもなく、ギターの弾き方も良く分からないまま、買って満足で直ぐにギターは触らなくなった

中学生当時と変わらぬ今45歳の私・・・

初志貫徹ってこと!?

三つ子の魂百までってやつだわなw

 

ギターは早々に諦め、しばらくは聴く専門になった

ユニコーンやブルーハーツ、爆風スランプ、聖飢魔ⅡのCDを買って聴いていた

ユニコーンはライブに行くくらい好きだった

当時はライブとは言わずコンサートって言ってたっけ

『大迷惑』を聴くと今での当時の情景がブワァっと思い出される

極甘のマックスコーヒー飲みながら、中学生のくせに煙草を吸っていたアホな私

アホだったなぁ

 

お小遣いが少なかったので、CDは滅多に買えなかった

金持ちの友人がシングルCDを買うのが信じられなかった

2、3曲しか入っていないのに1,000円も出すの!?って

 

シングルCD知っていますか?

直径8㎝しかないCD

もう若い子は知らないだろうね

大きな乳輪見て、シングルサイズかよ!って言ってもたぶん通用しませんw

 

中に入っているプラスチックを折る派と残す派に分かれたりしてね

貧乏(性)な私は絶対シングルなんか買いませんでしたけど

 

高校生くらいでまた音楽からは離れました

友人たちはB’zだ洋楽だと聴いていたけど、私は全く聴かず

友人の家で麻雀やらストリートファイターⅡを徹夜でやりまくっていました

よく高校卒業できたよな・・w

 

また音楽を聴きだしたのは、車の免許を取得してからだ

夜な夜な、車で曲をかけて無駄に車で走り回っていた

小室哲哉の全盛期で、TRFやglobeを聴いていた

 

車を乗り換えた機に、巨大なウーファーも組んだ

車はクソマイナーなマツダの4WD

父親が知り合いから金融流れで手に入れた車

これも今思い返せば、親父の交友関係ってどんなのだったのだろう(汗)

 

4駆の荷台を埋めてしまうほどの4発の大きなウーファーだった

 

あ、4駆で思い出した

女の子に振られた日、H Jungle With tの『GOING GOING HOME』を海に行って聴いていた

夜中に1人、海まで行って【車のシートをばったり倒して】【四駆の部屋中にタバコの煙を プカッとただよわせて】って聴きながら涙した若き日の私

音楽聴くとその当時の情景が出てきます

恥ずかしいくらい若かったなぁ

 

またもや閑話休題

 

ウーファー組んで聴く曲も変わりました

Dancemania1をずっと車で流していた

ノンストップのダンスミュージック

ウーファーでドンスコドンスコ言わせながら、ナンパのメッカまで出かけてナンパしていた日々

勝率悪しw

 

Me&Myやキャプテンジャック

ユーロビート前のディスコサウンドになるのかな?

実に懐かしい

 

音楽生活はもう少し続く

 

21歳で実家を飛び出して独り暮らしを始めた

タイミングよくギャンブルで大儲けをしたので、MDデッキを購入した

10万円くらいしたかな

まだ少しお金も余っていたので、有線放送を自宅に引いた

個人のアパートに有線を引くやつはあまりいない

当時はちょっと自慢でした

 

23歳くらいまで、しばらく音楽付け

 

JPOPの週刊bestをMDに焼いて、自分でピコピコとタイトルを入力していました

それをドヤ顔で女の子たちに聴かせる私

 

当時はSPEEDの『White Love』とかシャズナとか流れていたなぁ

X JAPANのhideが自殺しちゃって『ピンクスパイダー』もよく流れていたなって思い出

 

中学生の後半くらいからカラオケボックスもブームになり、よく友人(女の子含む)と行っていました

そこで大事なのは最新曲を上手に歌っちゃうこと

流行りの歌を上手に歌って、女の子にモテるモテる!

 

と、思っていた勘違いな私

世の中そんなに甘くありませんw

 

あとは愛知県に引っ越しだなんだで音楽を聴く生活は終わりになっていった

結婚や子育てでJPOPなど聴かずに、おかあさんといっしょの曲をたくさん聴いていたなぁ

意外と名曲揃いです

 

そして現在に至る

とまあ、こんな感じ

 

そうそう最後に

1994年、まだ宇多田ヒカルって誰?ってくらいのデビュー年

『Automatic』を聴いた時が衝撃的でした

 

Automaticを始めて聞いたのはラブホテルでした

今みたいにCS放送とか当たり前じゃなかった時代

ラブホに行ったらオシャレさんを気取ってMTVとか垂れ流ししちゃうわけです

音楽PV見ながらHとかしちゃうのがカッコいいと思った私w

 

そこで流れてきたのがAutomaticのPV

なにこれ?

誰これ?

なんでこの女の子はこんな狭い箱の中で歌っているの?

ダラダラ踊っているし変なの・・ プププ

と思いながらも何故か画面から目が離せない、耳も離せない

よく分からんけど、凄い曲だ!と思った

その後からビックリするくらい爆発的に売れ、宇多田も有名人になった

 

無名時代(私の中では)の宇多田の曲を聴いて心を持って行かれた私

今でも思うのは、良い曲ってそういうことなんだって思う

 

それ以来、そんな衝撃的な曲には出会っていないけど、またしばらく音楽を聴いてみようと思う

 

クラッシックやJAZZもたまに聴くけど、やっぱり初心に戻ってJPOPから聴く

最近は演歌も沁みるぜって思っちゃうのだけど、演歌も良いよね~

 

過去に1つのアーティストに熱狂したことは無いのだが、果たしてこの先現れるのかな?

自分自身で楽しみである

 

 





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