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まずは庭から始めました

私と独り暮らし 1

投稿日:2021/6/17 更新日:

 

長男が独り暮らしを始めて、約2か月

こちらが連絡をしていないのもあるが、向こうからも連絡なし

 

1度だけ誕生日プレゼントにPS5が欲しいと連絡があっただけ

アホか!と一蹴

今年は独り暮らし用品でどれだけ金が掛かっていると思っているのだと

バイトしろ

 

母ちゃんとは連絡取り合っているのかな?

心配性の母親なので、色々言っていそう

連絡を取り合っているかどうか、私と奥さんの家庭内の連絡も少ないので分かりませんw

 

私は家庭内で孤立できる居場所があるので、今でも独り暮らしみたいなものですが、アパートを借りて独り暮らししたいなという願望はまだあります

 

初めて独り暮らしした時のワクワクと、自由を手に入れた感をもう一度味わいたい

 

そんな独り暮らしを始めた当時の回顧録です

思い出に浸り過ぎて3部作になってしましました

 

独り暮らしを始めた21歳の夏

私が独り暮らしを始めたのは、21歳の夏

2021年の今から数えると、25年前の1996年

 

計画性も無く、売り言葉に買い言葉で、勢いで独り暮らしを始めました(汗)

 

貧乏だった我が家

個人のまともな部屋が無い家だった

いつか出ていこうと心に誓うも、実家暮らしはやはり快適

 

自動でご飯が出てくる(ご馳走)

自動で洗濯されて畳まれて出てくる

定期的に部屋も自動で掃除される

帰れば風呂も沸いている

 

21歳にもなって家には一銭も入れずに甘えていた

これは後から甘えていたなとか、良い環境だなって思っただけだけどね

当時は当たり前だと思っていた

 

そんなある日

仕事が終わり、家に帰ると誰も居ない

滅多にない事だったのだが、父親も母親も揃って出かけていた

 

帰っても食事が用意されていない

なんだとー!!と当時の未熟な私は思った

今ほどコンビニも発展していない時代だった

食事=作るもの という感覚

 

自分で作るのは面倒

もういい!不貞寝してやる

 

18時から21時くらいまで寝ていただろうか

母親に起こされる

晩飯用意したから食べなさいと

 

ちゃんと用意してくれた

ありがたい

と、思ったのは今だから

 

当時は(いちいち起こすなよ)と心の中で思った

そして食卓に並べられたオカズがかなりショボかった

 

食事は貧乏でも豪勢だったのよね

大家族だったし、親父が飲兵衛だから魚のアテもあった

常時オカズは4、5品目あった

 

でも起こされて出されたものはショボいオカズのみ

自分たち夫婦は外で済ませてきたらしい

完全な残り物

 

今考えると本当にバカな私

 

「わざわざ起こして、これだけかよ!!」

ブチ切れちゃった(汗)

 

それを聞いた親父も激怒

「ガタガタ文句を言うなら喰わんでよし!」

「気に入らないなら出ていけ!!」

 

親父の言っていることは正しいです

たぶん今私が息子に言われても同じこと言っていますw

 

親父は怖い存在でした

ブチ切れるし、手は出るし

 

だけど、齢21の私も元気いっぱい

いざとなれば勝てると思っていました

 

ああ、自分で書いていて情けない・・

 

実家暮らしで家には一銭も入れず

夏のボーナスが出た直後の話

小銭を持っていた私は、更に強気

 

「おお!!出て行ったらぁ!!!!!」

 

ほんと小銭ですよ

30万円くらいしか持っていなかったと思う

でも21歳の私は、何でも出来ると勘違いしていたw

 

その晩は、家を飛び出して車中泊をした

 

長くなったので続きます

誰も興味ないと思うけどね

 

ぶ村



ぶ村



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